識育コーチング®︎では、枠組み自体の深化を伴う変容に関しては、「成人発達理論」を、システムを俯瞰的に捉える際には、「インテグラル理論」を援用します。個の内在(内面性)を観察する際には、独自に開発しているモデルを用います。
※ 識育コーチング®︎とそのモデル図は2016.01.13に商標登録されています。
ひとつの在りたい世界
どこか外の世界で起きていると考えていることも
氣づけばこんな流れになっていると感じていることも
もしかすると、自分の深くに在る
「曖昧な感覚」と繋がっているのかもしれない。
ゆっくりと、でも確かにその感覚のなかに深く入っていくと
そこにはただ、風そよぐスペースに無限なる可能性の光が煌いている。
意味も記号も無く
誰のためとか何かのためとかいう境界も無く
ただ無垢で可能性に溢れる感覚にはじめて触れるとき
今まで分断されていた何かが統合される感覚が心身に溢れる。
心の深くにあるこの何かと共振する。
それは単なる「自分軸」でなく
「全体軸」とも表現したくなるような
もっと根源的でゆったりした豊かな感覚。
「自分を識る(Self with Mindfulness)」
その感覚とともに生きること
「氣づきで生きる(Life with Awareness )」
識育コーチングでは、
このふたつのプロセスを大切にしながら、
非日常的で自己超越(トランスパーソナル)的な感覚と
日常的で多元的なリアリティの内在的経験とを
遍満するもうひとつの次元(縁起)から撚りをかけて紡いだ糸で
ワタシ自身を織り成し続ける探究の森を
ご一緒に散策します。
ささやかなフレームワークとして
『識育コーチング®(Epistemic Coaching)』とは、
私たちは、天と地を架橋するヒトの百花繚乱を導く『Authentic Happiness(自己本来の存在とご縁の相互浸透から生じる真正な幸福:Eudaimonia)』を基軸とした、コーチ育成・コーチング・人材育成・組織開発コンサルティングを通して、より豊かで調和のとれた幸福な世界の顕在化プロセスに寄り添います。
自ずから生成される深化と変容の躍動としての霊性的知性
識育コーチングは、日常的なデキゴトと共存する生成的な触媒を大切にしています。「観察、実践、省察」を繰り返し、生き生きとしたデキゴトと共存することでご縁を活かし、多彩な学習プロセスと深化と変容プロセスに寄り添います。その道のりは非日常と日常の生成的架橋であり、統合です。
そのプロセスは、高密度で微細な意識、ふくよかで自由自在な意識、スペースの広い安定した意識、神聖なる静寂、高い直観力、つまり、霊性的知性:SQ(Spiritual Quotient:スピリチュアルな知性)を招き入れるコーチングの側面を含んでいます。
既に遍満する霊性に、柔軟で自在に、高い純度で、日常的に共振できるようになるとき、その霊性に近接する霊性的知性は深化し、日常的なデキゴトは、これまで非日常的だったその感性によって目撃され、同時に私もそのデキゴトを経験するでしょう。
識フィールドを構成する「6つ領域」
識育コーチングでは、「帰結(consequence)」、「場(field)」、「技芸(competency)」、「行動特性・性格類型(capacity) 」、「意味構築能力(capability)」、「氣づき(awareness)」、これら6つの領域と多元的かつ動的に相互関連する生命的システムとして『意識』を捉えます。
この6つの領域において「今ここ」で生起している現象を微細な感覚で認知し、何を感じ、何を想い、何を意図して、どのような言動で他の存在に影響を及ぼし、何をどのように観察するか、という一連の『私の意識のなかで生じている営為』を心身を通して経験すると同時に、その瞬間に完全に自己一致した柔軟な選択によって縁起(縁として起こっていること)を生かすようなプレゼンス(存在)に向かっていきます。
この「意味構築能力(capability)」は、幾つかの成人発達理論が着目する領域です。私たちが日常的にアクセス可能な顕在意識に言葉を生じさせる知性であり、これまでのトレーニングや研修などで直接的に育むことが困難な領域ですが、この領域がひらかれていくプロセスやメカニズムは、何人かの発達心理学者によって明らかにされており、識育コーチングではそれらの叡智を援用します。
現前を構成する「4つの基底」
識育コーチングでは、真・善・美(靈)・無(空)の四つの基底から成る「現前」を識フィールドのなかで目撃しながら経験するプロセスを辿ります。真(科学的)、善(社会的道徳的)、美(審美的)な内在的世界と、霊性的、空性的な超越的世界の二つの世界に同時に生きるプロセスです。
この二つの世界を架橋するプロセスは、井筒俊彦氏が「意識と本質」に記したこの言葉に似ているかもしれません。「存在」を構成する「内在性」、「本質」を構成する「超越性」、その二つを架橋する”感性的表層”を探究する詩人のポエジーにも識フィールドを育む実践の可能性を感じるのです。
そしてまた、この「本質」や「超越性」を否定し、一切を「存在」のなかの「縁起」として観察しようとする思想にも同様な可能性を感じます。
内在性(immanence)と超越性(transcendence)を含む「何か」へ
網の目のようで多元的なフラクタル構造にどのようにスキャフォールディングするか
それらの水平的な網の目と、垂直的なフラクタル構造とにスキャフォールディング(足場がけ)を編み込んでは解くようなプロセスを螺旋状に辿りながら、多彩な存在や次元を自由自在に抱擁できる『識フィールド』が、現前とより広くより深くに相互浸透できるようなプロセスを共に歩んでいきます。
自己群のコンステレーション(constellation)
識育コーチングの四象限モデル「氣づきの輪」
「意味のシアター」の箱から出てみる
現象のオーナーシップを放棄しているとき、意識は後退し、思い込みや妄想は加速する
直面しているリアリティを誰かの何かのせいにしている間、そのリアリティを通して学び氣づく可能性は留保されつづけます。そのご縁を通して意識がひらかれるチャンスを誰かや何かに預けたまま先延ばしにしている間、私たちの目の前を可能性を秘めたご縁が過ぎ去りつづけ、可能性を封じ込める思い込みや妄想を経験しつづけることになります。
直面している一粒のリアリティを、自分自身の意識のなかで繰り広げられているストーリーとして、これらを超越したもうひとつの存在として目撃するとき、つまり、現象のオーナーシップを発揮するとき、私たちは、ほんの少しだけ豊かな全体性に生きることができます。
反応的な意味付けを保留したまま、この柔らかなで新鮮な「全体性」を通して、これまでの「部分性」をただ観察するとき、私たちの身体から生じる感覚や私たちの無意識的なイメージから生命が流れるとき、ひらきは自ずから生じます。
ここで云うオーナーシップは、この"ほんの少しだけ豊かな全体性"にアクセスすることで自ずから生じる生命的知性なのかもしれません。
何時でも何処でも誰にでも自ずから生じ得る全体性という名の愛はきっと、何かのコントロールを手放すとき、自ずから部分性を抱擁しつづけるのです。
無知(not knowing)や全体性 にひらいていこうとする探究心そのものが愛のひとつの体現だとすると、パートナーシップにも、チームにも、組織にも、社会にも、全ての関係性にその実践が共有されるといいなぁという思いが、この氣づきの輪に籠められています。
内在性と超越性を織り成す「靈性(スピリチュアリティ)」に出逢う旅路
社会や他者から観られている世界に生きる 内在的な自己と、それらを目撃している 超越的な自己が紡ぎ合わせた自在な選択によって、この縁起(縁として起きていること)と共創するようなプレゼンス(存在)を探究し深化しつづけるような実践を、具体的なフレームワークがガイドします。このフレームワークは氣づきの輪のもうひとつの側面です。
観られる 内在性と目撃する 超越性を織り成す「靈性(スピリチュアリティ)」に向かうたびに、この靈性が縮退しつづけると同時に、この豊潤なスペースはひらきつづけます。「純粋無垢なもうひとつのリアリティ」も深まりつづけます。